月と魔法と太陽と Silver Bullet
[スペシャル:SS]







 ふっふふっふふ〜〜ん♪
 えーっとえーっと、ふでばこ、ノート、合格証明書と住民票、今日持っていくものって、これで全部だよね?


 あ、みんな、こんばんわー♪
 わたしの名前は笹川つづり。
 この春から武蔵野魔法学院の一年生になる、魔法使い候補生。
 将来の夢は、大魔導師になることなんだけど、今日はその夢に向けての第一歩って感じかな?


 わたしたちの世界は、全ての物質に魔法の力が宿ってて――。
 当然、そこで生きてる全ての生物――。
 カエルさんやスズメさん、ゾウさんやキリンさん、それに当然、人間にも魔力が備わっているんだよ。

 でも、その魔力を使って、実際に魔法を使うには、いろいろ勉強や修行をしなきゃいけないんだけど、今日からわたしが通うことになる武蔵野魔法学院は、その勉強や修行を専門にやってる学院なんだよねー。
 簡単に言えば、工業高校みたいなものかな?

 偏差値だってけっこう高いんだけど、去年一年間、めちゃくちゃ頑張って勉強した甲斐あって、見事合格することが出来たんだよね♪


 あ、もうこんな時間。
 そろそろ家を出なきゃ……間に合わないかな?
 じゃあ、家を出る準備しないと……。
 ママはもう先に行っちゃったから、鍵もきちんと閉めて……っと。

 よしっ!
 玄関に鍵も閉めたし、これから初登校。
 気合入れて行くぞー!!
 えっと、えっと……『シャトルくん』はどこかな……。
 ……あった。
 玄関の壁に立てかけてある、古ぼけた一本の竹ボウキ。
 ふふっ、今日から新学期だから、またよろしくお願いね♪

 カバンを落とさないように背中にしょって……。
 スカートめくれないようにセッティングして……。
 よーし、準備完了。

 シャトルくんを太ももでしっかり挟んで、大きく息を吸い込む――。
 目を閉じて、シャトルくんやわたしの身体の重さが、ゼロになる感じをイメージしながら……。
 いつもの呪文……いっちゃうよ♪


『我が血肉より世界の摂理を解き放ち給え、天空の真理と我が精神を結び付けたまえ……』


 子供の頃、市役所でやってた『こども魔法教室』で教えてもらった、空を飛ぶ呪文――。

 今よりずーっとちっちゃな頃は、途中で呪文の文章忘れちゃって、けっきょく走って学校まで行ったこともあったっけ――。
 ホウキ持ったまま教室まで走っていったら、みんな……先生まで笑うんだもん、ホント、失礼しちゃうよね。

 あぅ……いけないいけない。
 精神集中途切れちゃったら、また遅刻しちゃうよ。
 しかも今日は、すっごく大切な日なんだから、こんな日くらいバシッと決めて、空から通学して、クラスメイトの度肝を抜かないとねっ♪

『エーテルの大海を舞う一葉の羽となり、闇を裂く流星の如くに軽やかに空を駆けん……』

 呪文を唱えて、目をつぶったまま、夜空を飛ぶわたしの姿を、思い浮かべる――。
 そうすると、だんだん、だんだん――
 わたしの身体が軽くなっていくような感覚に包まれて、浮いてるのか立ってるのか、よくわかんないような、そんな不思議で心地いい――。

 風になる瞬間が……来たっ!!

「よーし、行くよっ、シャトルくんっ!! サエラム・バード!!」

 瞳を開けて、夜空に向かって大きく言った瞬間――。
 まるで、わたしの身体にロープがくくられて、すごい力で引っ張られるみたいに――。
 わたしとシャトルくんは、スーッと風を切って、夜空に舞い上がった――。


 うーーん、いい風!
 春のうららの、柔らかいお月様の光もいい感じ。

 スズメさんやツバメさん、カラスさんとすれ違いながら、チラッと下の世界を確認確認――。

 よしっ、高さはもう十分。
 じゃあ、一直線に武蔵野学院までごーごー!! だよっ!!


 それから10分……もかかってないかな?
 しばらく気持ちよく夜空を飛んでたら、前方に目指す建物が見えて来ちゃった。

 広々としたグラウンドに、赤レンガ造りのシックでモダンな感じの建物。
 今日から、わたしが通うことになる、国立武蔵野魔法学院――。
 おうちに合格の証明書も届いたし、今日はもう入学式なのに……。
 なんだか、本当に入学できたんだって実感、まだわかないなぁ……。

 …………。

 あっ、いけないいけない。
 ぼーっとしてたから、ついつい高度が下がっちゃった。
 でも、もう学院はすぐそこだから、ちょうどいいかな?
 お空を飛んで通学するときは、原則下足箱のところで離着陸って、パンフレットには書いてあったけど……。
 あの辺りかな?
 他の学生さんたちもいっぱいいるみたいだし、きっとあそこだね、それじゃシャトルくん、着陸しよっか。

『シャトルくん、インフェルス・バードだよっ!!』

 人のいないところを選んで、ふわーっと着地――。
 ――よいしょっと。
 地面に足がついた瞬間、今まで羽根みたいに軽かったわたしの身体に、ずずずーんと重さが戻ってきて、ちょっとフラッと来ちゃった。


 ふふっ、みんな見てる見てる。
 このわたしは物理魔法の適正がとーっても高いから、普通の人みたいに長い時間の精神集中とか、必要としないんだよねっ♪
 ま、それ以外の魔法はほとんど使えないんだけどね♪

 さてさて、1年3組の下足箱はどこかなー?

「おー、もしかしたらと思ったら、やっぱつづりじゃん」
 あっ、この声は……。

「あっ隼人ちゃん、おはよー♪ ちゃんと登校してきたね、えらいえらい」

「入学式くらい、ちゃんと出席するってば。俺んち保護者がいないから、手続きとか俺1人でやんないといけないし」

「あ、そっか」

 そんな言葉の割に、眠そうなおめめをこすって、あくびしてるこの男子生徒は、白川隼人ちゃん。
 子供の頃からわたしと仲良しさんで、学校もずーっと一緒だったんだよね。
 隼人ちゃんって、こんな風にいつもどこか、やる気ない感じなんだけど、ご両親はすっごくレベルの高い魔法使いだったんだよね。
 だから、隼人ちゃんも武蔵野学院に入学したら、きっとすごい魔法とか、いっぱい使えるはずだよって、わたしが誘ったんだ♪
 隼人ちゃんは「絶対ムリ」なんて言ってたけど、でも、入学試験だって合格したんだし、ムリってことはないと思うけどなぁ。

「おい、つづり、なにボーっとしてんだ」

「あ、ごめんごめん」

「そろそろ教室行かないといけないから、また後でな」

「うん、わかった」

 同じクラスだったらいいのになーって思ってたけど、やっぱりそう都合よくはいかないよね。

 じゃ、そろそろわたしも行かなくちゃ――。


 ――魔法学院って言っても、廊下とか教室とか、普通の学校とあんまり変わらないなー。
 もっと、古くておんぼろーな感じなのかなって思ってたから、ちょっと意外。
 でも、さすがは魔法学院だね。
 駐輪場の中にちゃんと『ホウキ置き場』もあるんだもん。
 これまでだと、ホウキで通学したら置く場所ないからちょっと困ってたんだよね。
 えっと、教室のわたしのお席は……あ、ここだここだ。
 ふー。
 この教室にいる人たちって、みんな魔法が使える人たち――全員魔法使いなんだよね?

 わたしなんて、空飛ぶくらいしか出来ないから、なんだかみんなすごく頭良さそうに見えるな……。

「ん? どうか……したのかな?」

 あ、いけないいけない。
 つい、隣の席の人、じーっと見つめちゃったから、変な顔してる。

「あ、いや、何でもないです。ごめんなさい」

「あはは、ひょっとして、緊張しちゃってるのかな?」

「う、うん……けっこう、そうかも」

「実はね、あたしもすっごく緊張してるんだよね」

「え……そうなんですか?」

 隣の席の女の子――。
 キリッとした顔立ちで、背も高くて……なんだかちょっと怖そうな感じだなって思ってたけど、すごく気さくに話しかけてくれた。
 おかげで、ちょっとだけ……緊張してたのがほぐれてきた感じ。


「あなた、さっき空飛んで通学してきたでしょ。さすがは魔法学院だよね」

「は、はい、そうですけど……」

「通学に使うくらい、気楽に空が飛べるなんてすごいね。あたしも勉強したら、そんなことできるかなぁ」

「いや、そ、そんなにすごくないですよ……わたし、お空を飛ぶことくらいしか、出来ないし」

「そんな謙遜しなくてもいいよ〜。十分すごいことなんだからさ。わたしも専門外の魔法なんてほとんど使えないし」

 そう言うと、その娘はニッコリと微笑んで――。

「あたしね、羽雨直って言うんだ」

「わ、わたし、笹川つづりです」

「ははは、クラスメイトなんだから、敬語なんか使わなくていいんだよ〜。笹川さん、これからよろしくね♪」

 はぐれすなお……すごく、珍しい名前。
 でも、すごく優しそうな人だし、お話してたら少しだけ落ち着いた感じ。
 ……隼人ちゃんと同じクラスになれなかったし、同じ学校から来たお友達もいないから、不安だったけど、こんな感じで魔法使いって言ったって、みんな普通の学生なんだよね?

 ふふっ、そう思ったら、ちょっとだけ元気が出てきちゃった。
 よーし、大魔導師目指して、今日から頑張るぞーっと。






 ガラガラッ――


「はい、みんなお疲れ様〜。
あら? 今日来てるのって、つづりちゃん、リリーちゃん……あと直ちゃんか。男子2人はどうしたの?」

「梢ちゃんお疲れ様ー。隼人ちゃんは今日は定期健診の日だから、先に帰っちゃったよ。梢ちゃん聞いてなかったんだ?」

「え、そ、そうなの? ちっ……だったらあたしと一緒に帰ればいいのに。そんなにコソコソしなくても」

「末坂も一緒に帰ってたから、検診もそこそこに街で遊んでるのかもしれませんね」

 爪を噛んで、ホワイトボードの出欠パネルを見つめるあたしに、直ちゃんが続けて報告してくれる。
 まったく、直ちゃんなんか、会員でもないのに毎日のように顔出してくれるって言うのに、あのボンクラ2人と来たら……。




「ハヤト……定期ケンシン……ケガ、治ってない?」

 あたしたちの話が読めないのか、今まで魔導書を読んでたリリーちゃんが、小首を傾げながらあたしに尋ねてくる。

「んー、こないだ落っこちたときのケガじゃなくってね、隼人は別のとこ、子供の頃にケガしちゃったんだよね。で、後遺症とかあるから、そのための検診なのよ」

「ハヤト、重病人……それはイガイ」

「だよねー。一ノ瀬センパイが言うから嘘じゃないんだろうけど。でも、あんなピンピンしてるのにねー」

 うーん、困っちゃったわね。
 別に隼人のプライバシーなんて、気にすることもないんだけど、つづりちゃんいるしなぁ。
 なるべく彼女の古傷に触れない感じで、オブラートに包みつつ他の話題にチェンジ……しなきゃ。

「ま、まぁ、日常生活に支障があるって訳でもないからね。本人も至って元気だし」

「でも、魔法使えないから、本人は結構気にしてるみたいだけどね〜」

「あ、そ、そうなんだ……」

 むぅ、自分から乗ってきちゃうか。
 大昔のことなんだし、ずっと一緒にいるわけだから、つづりちゃんもある程度は吹っ切れちゃってるのかな?
 だったら、余計な気を遣うこともないのかな。

「魔法学院に入って、本格的に魔法を使う訓練とかしたら、きっと『精神的外傷』なんて治っちゃうよって思ってたんだけど……なかなか、そう簡単にはいかないね」

 なるほどね。
 つづりちゃんらしいっていうか……。
 つづりちゃんだけじゃなくて、あの隼人までここに入学してきたのは、そんな理由なんだ。
 ちょっとだけ、妬けちゃうわね……。

 あの日のこと――。
 今もハッキリと覚えてるよ――。
 隼人がウチの診察所に運び込まれた日――。




 あたしは学校から帰ってきて、夕食までの間、診察所の待合室に置いてあるマンガの雑誌を読もうと思って、足を運んだんだよね。

 そしたら、看護士さんたちが大慌てで行き来してて、その中でわんわん泣いてる女の子がいたんだよね――。

『ひっく……ひっく……ふぇ、うええん……はやとちゃんが、はやとちゃんが……しんじゃう……しんじゃうよ……』

 ――『はやとちゃん』って患者さんの容態が、よっぽどヤバいのか、看護士さんたちはそんな女の子には見向きもしないで……。
 お母さんらしい女の人――。
 これがまぁ、つづりちゃんにそっくりなんだけどね。
 その人もおろおろしちゃってて……子供心に見てらんなかったら、声をかけたんだ――。

『あの……うちに来たら、きっと大丈夫だから、椅子に座って、静かに待ってようね』

『ひっく……ひっく……はやとちゃん、はやとちゃん……』

『大丈夫だよ。うちのお父さんはすごい白魔導師だから。はやとちゃんもきっと大丈夫。だから、もう泣かないでいいよ』

『うっ……うぅ……わたしのせいで、はやとちゃんがぁ……』

 結局、つづりちゃんはずっとそんな感じで……。
 その日はあんまり会話にならなかったんだけどね。
 で、それから30分くらいして、お父さんが診察室から出てきて、つづりちゃん母娘とお話して……。
 あんな深刻な表情のお父さんなんて、後にも先にも見たことない感じだったから……。

 あたし、すっごく興味湧いちゃったんだよね。
 晩ご飯のときにそのこと聞いても、お父さんはなにも教えてくれないし。
 そのくせ、お母さんには、

『白川さんとこの息子さんが、魔法器の暴走で大怪我した』

 とか話してるの聞いちゃったから……。
 夜中に、こっそり様子を見に行っちゃったんだよね。




 病室は真っ暗で、治癒魔法の治療器の光だけがボーッと光ってて……。
 その青白い光の中、ベッドの上に、男の子が横たわってたんだ。

 大怪我って言葉の割には、どこにも怪我した様子はなくて、寝息も安らか。
 治癒魔法をかけられてる最中だから、身に纏うものの一切を脱がされて……。
 一糸纏わぬ姿で、スゥスゥと寝てる男の子の姿に、あたしはついつい、見入ってしまった。

 待合室で見た女の子の涙、それにお父さんの深刻な表情、その割には、傷ひとつ無い男の子――。

 しばらく、あたしはこの全然結びつかない状況に首を傾げてたんだけど……すぐに答が見つかった。

 そうだ……この子は今……魂をケガしていて……。
 身動きひとつ取ることも出来ない状況なんだ……。

 そして、そんな大怪我なのに、看取る家族が1人もいないことが不思議でならなかった。




 あたしがそんなことを考えていると、身動きひとつ出来ないはずの……その男の子の唇が……青白い光の中で微かに動くのが見えた。

『つづり……』

 何度も何度も、うわ言のように呟いてた。
 そして、懸命に身体を動かそうと、もじもじと身を捩じらせたりするのを見ちゃったものだから……。

 あたしはベッドの横まで行くと、その男の子の手を――。
 ――ギュッと握ってたんだよね。

『大丈夫だよ。もう、だいじょうぶ』

 さっき、女の子に言ったのと同じ言葉を――。
 聞こえる訳もないのに囁いて――。
 ただただ、じっと手を握ってた。

 この子たちに何が起こったのかは分からなかったけど……
 でも、つづりっていうのはさっきの女の子の名前なんだろうなってこと。
 そして、この子は、彼女のことを守ろうとして、こんなことになっちゃったんだろうなってこと。

 その2つは、男の子の身体から伝わる、弱弱しい精神の力で、ハッキリと感じ取ることが出来た。

 あたしは、そのつづりって子じゃないけど――。
 でも、大丈夫だよ――。
 その子は元気だし、あなたのことをずっと心配してる――。
 だから、なにも考えないで、楽にして――。
 あたしがずっと、傍にいてあげるから――。
 そんなに、苦しむことはないんだよ――。

 そんなことを、一所懸命想いながら、ずっとずっと、男の子・隼人の手を――。


『――次の日の月が昇るまで、ずっと握ってたんだよねぇ……か。一ノ瀬さんって、やっぱり優しいんだねぇ』

 !?




「なっ!? の、の、の、法子先生っ!! い、いつから部室にっ!?」

「ん〜、ちょっと前だよ。一ノ瀬さん、いくら呼びかけても返事してくれないから」

「だ、だからって……他人の心を覗かなくても」

「へぇ……あの日って、梢ちゃんがほんとに一日中一緒にいてくれたんだ」

「ははは、なんか、あたしには多分に美化された思い出のように聞こえるけど」

「コズエ……昔は、ヤサシイ子」

 ったく、そりゃ1人で回想モードに入ったのが悪いんだけど、他人のプライバシーに踏み込まないで欲しいわよね。
 法子先生来たんなら、警戒モードに入らなきゃ。

「ま、まぁ……どこまで話を聞いたかわかんないけどさ。隼人はとにかくそんな感じだから。ハンデ背負ってるみたいなものなんで、あたしたちは隼人の分も頑張らないとね」

「はーーい」

「あたしは部外者なんですけど……ま、一ノ瀬センパイに頼まれたら、仕方ないか」

「リリー……ハヤトには恩、ある。頑張るのは、トウゼン」

 ふふっ……まぁ、結果オーライってとこかな。
 まったく、プライバシーが流出しても、会員の結束を固めるのに利用するだなんて……。
 あたしってば、どこまで天才占星術師なんだかね。

「そうだね、先生も少し見習わなきゃいけないなぁ」

「だから、宣告なしに心を覗くのやめてくださいってば。そんなことばっかしてると、地獄に落ちますよ?」







「まったく……なんで隼人はそんなにあたしの言うこと聞こうとしないわけ?」

「無茶言うなよっ!
いきなり『明日は2人で横浜に行く運命』なんて言われたって、こっちだって都合があるよ」

「はぁ……隼人、子供の頃はあたしの言うこと、なんだって聞いてくれたのに」

「そうだよねー。隼人ちゃんって、子供の頃は梢ちゃんには甘かったしねー」

 …………。

「お、なんやなんや、隼人、ガキの頃から、一ノ瀬にいいように利用されとったんか」

「なんなのよその言い草、失礼な。ねー、つづりちゃん、別にそんなことないもんね〜」

「そうだね。隼人ちゃんの食べてるお菓子、わたしがちょうだいって言ってもくれないくせに、梢ちゃんがちょうだいって言うと、袋ごとあげたりしてたしね〜」

「えっ!? そ、そんなこと、あったっけか……」

「ハヤト……男のくせに……ツンデレ」

「ハヤサカ、よくそんな言葉知ってるねぇ」

「ヴァルに……習った」

 …………。



 なんだか、すっごく楽しそうだなぁ。
 一ノ瀬さんと笹川さん、白川君って幼なじみなのよね、確か。

 幼なじみかぁ……。
 少女漫画やギャルゲーでは定番だし、憧れたこともあったけど……。
 私は無縁の生活だったもんなぁ……。

 はぁ……。

「ど、どうしたんスか、法子先生。いきなり溜息なんか吐いちゃって」

「あっ!? や、やだ、私ったら。別に何でもないよ〜」

 いけないいけない。
 教師が教え子見て『うらやましい』だなんて、みっともないにも程があるよね。
 そう、私は教師なんだから――。
 いつまでも学生気分引っ張ってちゃ、ダメダメ……。

「あ、もしかして、彼氏に振られちゃったとか、そんな感じですか? 今月の恋愛運でも占ってあげましょうか」

 なっ!?

「ち、ち、ち、違うわよっ!! 私、そんな人いないもん!! そんな人いたら、今すぐにでも、欲しいくらいだよ……」

「うわ、爆弾発言だ」

「きゃーっ、きゃーっ、法子先生って、今フリーなんですか?」

 うぅ……墓穴掘っちゃったよぉ。
 羽雨さんと笹川さん、そんなに身を乗り出して来なくてもいいのに……。
 こんなお話、友達とするのは大好きだけど、さすがに教え子とやるのは……いろいろと問題があるよね。

 とりあえず、こういう時は、お父様に習ったように――
『腹を探られたくないのなら、自分から進んで腹を見せなさい』

 ――だね。

「そういう意味じゃなくてぇ……笹川さんたちは幼なじみでいいなぁって思ってただけ。先生、そんな長い付き合いのお友達とかいないから」

 はい、正直に話しました。
 それ以上の意味なんて、ないもんねーだ。
 でも、一ノ瀬さんには、あとでちょっと占ってもらいたい気もするけど……。



「そっか、法子先生、お嬢様ですもんね」

「え、でもでも、子供の頃のお友達とか、1人もいないんですか?」

「え〜、でも、ひょっとしたら、子供の頃から想いを寄せてた男子とか、いるかもしれませんよ? あたしと隼人みたいに」

「こら、勝手に事実を捻じ曲げるなって」

「ヴァルみたいなトモダチも……いない?」

 あ、うぅ……。
 なんだか、墓穴を思いっきりショベルカーで大きくしちゃったような感じ……。
 しょうがないなぁ……この頃の子供たちって、こういう話に興味津々だもんね。
 私っていろいろ事情があるから、あんまり話せることないんだけど……
 お父様の教えに従って、もうちょっとだけお腹を見せておこうかな?
 とりあえず、この子たちが満足する程度の話……。

「んーっとねぇ、私って、お父様の教育方針で、高校の頃までほとんど家から外に出たことないんだよね」

「な、なんだってーーー!!!」

 …………。
 なんだか、すごいリアクションだけど……。
 高レベルの大魔導師とか、一子相伝みたいな技術を持ってる家の子は、そういう人も珍しくないんだけどね。
 現に武蔵野学院の学生でも、そういう子いるし。

「しつもんしつもーん!! 学校とか、どうしてたんですか?」

「お父様から習ったり、家に先生が来てたりしてたかな」

「すっげー! 名作劇場の世界だな。超お嬢様じゃん」

「ま、あたしんちなんかよりお家も大きいし、術者としての格もめちゃくちゃ上ですもんね。でも、すごーい。法子先生見る目が変わっちゃうなぁ」

「でも、その割にはあんまりお嬢様っぽくないですよね。あたし、『お嬢様』っていうと、キンキラのドレス着て、オホホホホとか笑ってそうなイメージが」

「せやな、馬車で学院まで来たりとかな」

「パンがなければ……カップラーメン、食べればいい」

 …………。
 話の方向性は変わったけど……。
 なんだか、このまま話を続けると、私のイメージに良くないものを残すんじゃないかしら。
 ま、まぁ、いざとなったら……みんなの記憶を消去しちゃえばいっか。
 でも、それはあくまでも最後の手段だけど。



「日枝院長って、1年生の頃に少しだけ講義を受けたことありますけど、その時に法子先生の話とかしてたなぁ」

「えっ!? そ、そうなの!?」

 えっ……なんなのなんなの?
 そんなの初耳だよぉ。
 しかも……講義で……だなんて。

「幻術の基本理念についての講義……ですね。日枝院長も幻術師でしたから」

「ん……そんな講義、あったかいな?」

「あんたは院長の話なんか聞いてられへーんっつってサボってたでしょうが。さすがは年長者、物忘れ激しいわね」

「ああ、いや、すんません」

 えっ、えっ……でも、どんな話したんだろ。
 気になるなぁ……。

「もし、良かったら、どんな話だったか……聞かせてもらえないかな? その頃の時期ってことは……お父様が元気だった、最後のころのことだし……」

「…………そうですね。別に隠すようなことでもないですし」

 そして、一ノ瀬さんが話してくれたのは……。
 私自身も忘れていた……遠い昔の物語。
 とってもささやかで、それでいて、とっても大切な――。
 今、私がここにいる理由と言ってもいい、できごと――。





 ――私の家にはすごく大きな庭があって、お父様が世界各地から集めてきた木々や草花が植えられてるんだけど、その中でも、特にお父様が好きな一画があった。

 ――それは、十数本のソメイヨシノが立ち並ぶ、ちょっとした、桜の杜――
 私が初めてその杜の存在を知ったのは……5つほどの頃だったかな?
 生まれて初めて、お父様に連れられて見た、満月の下で咲き誇る、満開の桜の杜――。
 まるで、そこだけが童話やおとぎ話のように見えるような、不思議な世界――。
 まだ、世の中のことはあんまり知らなかったけど、この光景に優るほどの素敵な光景は、このあと、そんなに見ることは出来ないだろうなって思えるほどの……。
 言葉にも出来ない、美しい光景だった。

 もう帰るよってお父様に肩を叩かれるまで、ずっとずっとそこに立ち尽くしていたほど――。

 私はその光景に見入ってしまってた。
 ひょっとしたら、魅入られたって言葉の方が、正しいかもしれないね。

 その晩、ベッドに潜り込んで、瞳を閉じても――
 瞼の裏には満開の桜が浮かんで来て……。
 もう一度、月が昇ったなら、今度はこの部屋にいっぱいいるお友達――。
 お気に入りの熊のぬいぐるみさんたちにも見せてあげようって思ったんだよね――。

 でも、世の中って……なかなか残酷なものなのよね〜。
 次の日、武蔵野の空に月が輝くことはなかった――。
 代わりにやってきたのは、気まぐれな陽気に誘われた、分厚い黒雲と、何もかもを吹き飛ばすような、春の嵐――。

 そして、1日荒れ狂った嵐が過ぎ去った後に残されていたのは……。
 一昨日の光景が、まるで嘘のように、花弁の一枚も残っていない、青々とした桜の木々だけだったんだよね――。
 熊さんやうさぎさんを抱いた私は、ただただ泣いてた。 この子たちと一緒に、あの素敵な世界に行きたかったのに――。

 そして、ずっとずっと泣きじゃくっていた私の肩を、一昨日と同じように、お父様が叩いたの。

 すると、その瞬間――。

 散ってしまった桜の花弁が、まるで時計の針を逆さに回したかのように……
 あちこちから飛んできたかと思うと、何事も無かったかのような、満開の桜の杜が広がっていて――。

 そして、お父様は言ったんだよね。

「形あるものは必ず朽ち果て……全てのものはそれを避けることは出来ないんだよ。悲しいことだけどね」

「でも、心の力……精神の力はそんなことないんだよ。
心に刻み付けたものは、いつまでも法子の中で生き続けるんだ」

「だから、いろいろなものを見て、聞いて、学びなさい。そうすれば、世界の全てのものは、いつだってお前の傍にいるのだから」

 ってね……。
 そっか、そうだよね。
 なんだか、先生になれたことだけで満足して、最近浮ついちゃってたけど……。

 お父様の言ったことを守るためにも……頑張らないとね。
 いつまでも、ドジばっかりやってると、お父様みたいなすごい幻術師にはなれないもんね――。







 2007年、3月上旬のある日――。
 日本から遠く離れた、とある小島――。
 普段は小さな漁船がまばらに停められている港――。

 だがその日は、そんな漁船を押しのけるように――。
 一艘の帆船が停まっていた。
 磨き上げられた船体は、港の篝火の光を受け、まるで燃え上がるかのように赤く輝き――。
 船の舳先では、航海の無事を守護するための女神像が柔らかな笑みを、1人の少女へと向けていた――。



『リリー、そろそろ出航だぞ。準備は全て済んでいるか?』

『はい……荷物、もう……全部、運びました』

『そうか……一ヶ月近い船旅になるが、リリー、お前ならそれくらいの旅など、苦でもないだろう』

『……そう、であると思いますし……苦難に満ちたものでも……挫けることなど……ありません』

『頼もしい言葉だな。流石は我が学園主席、リリー・ハヤサカと言ったところか』

 ……もう少し、女神様、見てたかったのに。
 堅苦しい問答はもうたくさん。
 それに、この小島での生活も、もううんざり。
 どうせ……先生もそんな風に思っているくせに。
 リリー……自分の力でこの島を出て行く権利、手に入れた。
 ピットカーン――リリーの故郷。
 リリーの全てを奪って、縛り付けた――
 つまらない、ちっぽけな島――。

 戻って来るの……何年後のことになるんだろう?
 これから向かう、黄金の国で――。
 もっと大きな力、偉大な魔法、手に入れることが出来れば――。
 もう二度と、帰ってくることもない……かも。

 さようなら、リリーを生んでくれた島――。
 御機嫌よう、リリーから全てを奪った世界――。

 それから間もなく、マストには白く輝く帆がはためき、見る見るうちに燃え上がるような赤い船体を、漆黒の大海へと漕ぎ出していく――。

 世界の果てから、黄金の島へ――。
 気が遠くなるような距離の海原を、新たな叡智を求めて進んでいく、魔法の帆船――。



『ふぅ……』

 船旅は、とても退屈。
 ピットカーンとニッポンを結ぶ海路……。
 取り立てて、珍しいものがあるわけでもなし。

 リリーたちを乗せた魔法の帆船――。
 ピットカーンから、外の国々とを結ぶ定期便。
 オーストラリアを経由して、ニッポンへ――。
 ニッポンに着いた後、この船はハワイ、アメリカへと向かうそう――。
 でも、リリーには関係のない話。
 リリーが目指すのは、黄金の国・ニッポン。

 リリー、ピットカーンの魔法学園、創立以来の好成績。 全ての教科で満点を取ったリリーに、与えられたのは――。
 更なる叡智と力を求める道――。
 それはリリーも望むところ。
 リリー、目指すのは大魔導師。
 あんなちっぽけな島……なんの未練もない。

『ふぁ〜、リリー……ご飯の時間はまだなのかな?』

 潮風に当たってたリリーの、肩がずしんと重くなる。
 耳じゃなくて、心に直接届く声――。
 リリーの……たった一人の、ともだち。
 すべてを奪ったあの島で、ただ一人……。
 嬉しいときも、悲しいときも、ずっと一緒にいてくれた、ともだち――。

『ヴァル……まだ15時。晩ご飯までは、まだまだ』

『ちぇっ……そうなのか……船室の中だと、月もよく見えないし、時間もよくわかんないから』

『もう少し、お昼寝してたら?』

『寝すぎちゃったから、全然眠くないよ……倉庫にはいっぱい食料があるんだよね? ボク、ちょっと拝借して来ようかな』

『ヴァル……それはダメ。もしバレたら……リリーたち、海に放り投げられるよ?』

『もし、そんなことになったら、ボクがリリーを助けてあげるよ。こんな船の連中くらい、ボクにかかれば……』

『ヴァル? そんなことしたら……リリーたち、留学できないよ?』

『う……わかったよ、そんなに睨まないでよ……冗談だよ』



 ヴァル……。
 ピットカーンに住む、カメレオン。
 強大な魔法の力を持った……不思議な生き物。
 今もヴァルは姿を消したまま、ずっと、リリーの背中におぶさってる。
 それに……テレパシーで、リリーと会話できる。

 初めて会ったのは……リリーがまだ、5歳くらいの頃。
 ひとりぼっちだったリリー……。
 持ってた人形……川に流されたとき、ヴァルが舌を伸ばして取ってくれた。
 ピトケアンカメレオン……ヴァルの正式名称。
 何でも食べる、凶暴な生き物。
 ペンギンやイグアナ、クズリみたいな猛獣も、一飲み。
 リリー、最初はすごくびっくりして、怯えて……。
 でも、ヴァル……ニッコリ笑って……。
 リリーに人形を渡してくれた――。
 その時から、今まで……ずっとずっと、ともだち。
 人間みたいに、嘘もつかない。お世辞も言わない。
 リリーの心からの……たったひとりだけの、ともだち。
 学園の先生たちは、ヴァルのこと怖がっていたけど……。
 リリーに言わせれば、ヴァルの方が先生たちよりもずっとずっと、優しくて正直。

 人間は、平気で嘘をつく――。
 人間は、自分と違う人間、いじめる――。
 人間は、自分以外、誰も信用しない――。
 人間は、一番大切なの、自分……。

 リリーも人間だから、そんなところあるの、否定しない――。
 ヴァルとお話してると、そんな醜い面が自分でわかって……自己嫌悪することも、しばしば。

 リリー、ヴァルのおかげで、ここまで来れた。
 ヴァルのおかげで……挫けず、頑張って来れた。
 だから、ニッポンでも……ずっといっしょ。

『あ〜、まだ月があんなところにあるのか。時間の感覚がめちゃくちゃだよ』

 ヴァル……リリーの肩に捕まったまま、頭を伸ばして――。
 リリーも空を見上げてみると……白い帆の向こう側で、大きな満月が煌々と輝いてた。
 雲ひとつ無い空に、白く輝く月の光――。
 まるで、リリーたちの前途を照らす、希望の光みたいな気がして……。
 なんだか自然に……微笑がこぼれて……。



『お〜い、リリー、んなとこで寝てると風邪引くぞ』

 え……!?
 今の……夢?
 リリー……ブシツで魔導書読んでたら、いつの間にか眠ってたみたい。
 テストも近いし……勉強いっぱいしてるし……。

 あぅ……。
 ハヤトの言うとおり、ちょっと寒い……。
 ニッポンの校舎、エアコン完備……。
 流石は黄金の国という感じだけど……。

 ピットカーン、南の島。
 ちょっとエアコン効きすぎ……なんだか、気持ちの悪い肌寒さ。

『リリーちゃん、寒い? 隼人ちゃん、ちょっとエアコン弱めた方がいいよ』

『そっか、ドライモードにしとくかな。切っちゃうと、魔導書湿気っちゃうしな』

 ニッポン……今、ちょうど雨季。
 ニホンゴだと『ツユ』という言葉。
 ニッポンの雨季……スコールみたいな雨じゃなくて……しとしと、じめじめ。
 リリー、こういう湿気は苦手。

 ニッポン……リリーの想像とはいろいろ違ってたけど、それでもやっぱり黄金の国。
 悪天候が続いても、食べ物は値上がりしないし、安い値段でご飯が食べられる。
 ピットカーンでの生活に比べたら、夢のよう。
 水も無料で手に入るし……生活用品扱ってる店もいっぱい。
 しかも、24時間営業のお店もたくさん……。
『コンビニエンスストア』って……言ったかな?
 生活していくためのもの、なんでも揃う、魔法のお店。
 リリー、こういう生活憧れてたけど……。
 便利すぎて、身体がついていかない。
 それに……。

『隼人、エアコン切っちゃダメよ。魔導書カビさせちゃったら、いろいろ面倒なことになるからさ』

 イチノセコズエ……。
 リリーとそんなに年齢変わらないのに、もうダイマドウシ。
 ニッポンの学生……軟弱で惰弱。
 ムサシノ学院に入学してから、そう思ってたけど……コズエみたいなダイマドウシ、ピットカーンにもいなかった。
 コズエ……リリーの顔見るだけで、これまで送ってきた人生とか、その他いろいろ、一目瞭然。

 リリー、コズエの足元にも及ばない……。
 やっぱり、リリー……田舎者。
 ピットカーンで一番って思い上がってた……そこは反省。
 これからも努力、継続しないと……。

『リリーちゃん、やっぱり、気分悪い?』

 ツヅリ……。
 ツヅリ、ニッポンに来てからの、初めてのともだち。
 ヴァル以外では……ううん、リリーにとって、初めての……人間のともだち。

 ツヅリの笑顔……まるで、船の上でみた満月の光みたいに、一点の曇りもなくて、見てるだけで気持ちいい。
 リリー……ツヅリやコズエに会えただけでも、ニッポンに来て、良かった。



『ダイジョウブ……ネオキだから、元気ないだけ』

『そう? だったらいいんだけど』

『リリー、今から購買部行ってくるけど、コーヒーでも飲むか?』

『え、あ……リリー、今、モチアワセないから……』

『そんなのいいって、後輩なんだからそんな細かいこと気にすんな』

 ハヤト……。
 ハヤトの笑顔……ツヅリの笑顔とは違って……。
 なんだか、見てるだけでほっとする……。

 これも……コズエの言うように『天の御遣い』だからなのかな?
 ハヤトが空から降ってきたとき……。
 リリー、びっくりしたけど……。
 でも、これも運命……なのかな?

 うん、リリー……これからも、頑張る。
 そして……頑張って、センパイたちみたいに……なる。
 そのためには、勉強、勉強……。






 その日、あたしはちょっとだけ、緊張してた。
 4月上旬、始業式の朝――。
 武蔵野学院に入学して、もう1年になるけれど――。

 新しいクラス、新しい級友、新しい先生――。
 今までの生活がいったんリセットされて、また新しい1年間が始まる――。

 もともと、そんなに熱心に魔法を勉強するつもりは……。
 こんなこというと、怒られるのかもしれないけど、正直なかった。

 あたしが武蔵野魔法学院を受験した理由――。
 それは、東京都内では弓道施設が一番充実してるから。
 それ以上の理由はなかった。
 あたしは子供の頃……物心ついた頃から、魔法が使えてた。
 しかも、この世界ではかなり特殊な『精霊術』というカテゴリー。
 この世界を構成する『地水火風』の四大元素。
 あたしが使えるのはその中の『風』の力。
 『風の巫女』なんていう称号までいただいてるあたしは、特に勉強や修行をしなくても、風の囁きや息遣いを感じることが出来た。
 そのぶん、普段から規則正しい生活を強いられたりしてるけど、でも、それを苦に思ったことなんて一度もない。
 人が人としてあるために、ルールを守って生きるのは当然のこと。
 なんて思うんだけど、今のご時世、それが出来る人間はとっても少ないらしい。
 ……嘆かわしい話だね。

 そんなことを考えながら、教室の扉に手を伸ばす。
 これから1年、あたしが過ごすことになる教室。
 まるで、扉の向こうに待ち受ける何かと対峙するかのように、あたしは大きく息を吸い込みながら扉を開けた。

 ――ガラガラガラッ


 廊下よりも幾分か温かな室温の中に、足を踏み出す。
 緊張していた心を解きほぐすかのような、どこか生ぬるい空気。
 ははっ、そりゃそうだよね。
 この教室の中にいるのは、全然知らない人たちじゃないんだし、見知った顔もちらほら――。
 あたしは机の端に貼り付けてある名札を確認しながら、自分の席を探す。

『すなおちゃーん、おっはよーー!!!』

 突然、あたしの進路をさえぎるように、満面の笑顔を浮かべた女の子が、勢いよく視界に飛び込んできた。

『おはよう、つづり。今日はずいぶん早いじゃない』

『2年生の初日だからね〜。わたし、昨日の晩から緊張して、あんまり眠れなかったんだよね』

 そんなこと言いながら、子犬みたいにペロッと舌を出す。
 教室の他の子たちとは全然違って、とても魔法使いには見えない、この女の子――。
 笹川つづりっていう、ちょっと変わった名前の、あたしの親友。
 1年生の頃から同じクラスで、隣の席に座ってたのが知り合ったきっかけだったっけ。
 背丈もちっちゃくて、どこか小動物みたいに可愛い子なんだけど、総合的な魔法の成績は、つづりの方があたしなんかよりもうんと上。
 でも、なんて言うんだろ……。
 魔法が使える人たち特有の、どこか気取ったような雰囲気なんか、これっぽっちもなくって、とっても親しみやすい女の子なんだよね。

『えっと、あたしの席は……ここだね。つづりの席はどの辺?』

『わたしの席はこっちだよー。ちょっと離れてるかな』

 あらら、そんなに後ろの方なんだ。しかも、隣同士の列でもないし。
 これは、気楽におしゃべりできる距離じゃないな。
 流石に2年連続でそんな上手い具合にはいかないか。
 あたしがカバンの中身を机に入れてると、教室の扉がガラリと開いて――
 つづりの頭がひょこんと動いた。

『あっ、隼人ちゃん、おっはよ〜〜!!』

『お、おお、おはよう』

『隼人ちゃん、ちゃんと遅刻しないで来たんだね、うん、いい子いい子』

『バカ、お前、テンション高すぎだろ』

 ふーーん……『隼人ちゃん』。
 あの男子が、つづりがいつも言ってる『白川隼人』なんだ……。
 見た目は悪くないけど、なんだか覇気のないヤツだなぁ……。

 失礼かもしれないけど、あたしは一目見て、そんなことを思ってしまっていた。
 つづりと『隼人ちゃん』は幼なじみ……というヤツらしくって、つづりの話にはしょっちゅう出てくる。
 あたしはこれまで、面識はなかったんだけど、今度いっしょのクラスになったってことを、つづりから聞いて……。
 ちょっとだけ、興味があったんだよね。
 あのつづりがこんなに入れ込んでる男子が、どれほどのものなのか――。
 それは、親友としては気になるところだもんね。
 つづりは誰とでも仲良くなる……っていうか、正直、ものすごく無防備な子だったりするから、もし変なヤツだったりしたら、大変だなって思ってたんだけど……。

 チャラチャラしたヤツではないみたい。
 そこのところは、まぁ及第点って感じかな。


 ――ガラガラガラッ

『おっす、ハイネ、今日は早いじゃん。てか、よく真面目に登校してきたな』

『おはよーさん、始業式くらいはくるっちゅーねん……そんな、人を不良みたいに言うなや』

 うわ、なんか、思いっきりチャラチャラしたのが来たぞ。
 てか……日本人なのかな?
 言葉は日本語……っていうか、関西弁みたいだけど。
 あたしがそんな不思議そうな視線を向けていると……。
『ん?』

 白川隼人と、視線が合った――。

『どしたの? 隼人ちゃん』

『あ、いや、別に……なんか、後ろに誰かいんのかなと思って』

 すると、つづりがあたしに向かって笑顔で手を振る。

『直ちゃん、直ちゃん、お友達紹介するから、来て来て』

『え、いや、そういうの……後でいいよ。どうせもうすぐ先生来る時間だし』

 あたしがつづりに答えるより先に、白川隼人がうんざりした様子で肩を竦めた。
 なんだか……つづりから聞いてた以上にやる気のなさそうなヤツ……。
 って言うか、あんなのでも、魔法使いの素質があったりするのかな?
 武蔵野魔法学院って名門校だから、あからさまな不良みたいなヤツって、いないんだけど……。
 なんだか、今時の学生って感じだよね……。
 つづりの相手としては、ちょっとどうなんだろうな?

 そんな風に、あたしが内心で白川隼人の評価を上下させていると――

 ――キーンコーンカーンコーン

『あっ、チャイム鳴っちゃったね。隼人ちゃんの言うとおりだ。じゃ、後でね』

 つづりがそう言って席に着くと、足止めを食ってた形の白川隼人が足を進め――。
 あたしの隣の席に、どかっと座り込んだ。

『あ……』

『ん?』

 まじまじと見つめるあたしの視線に、白川隼人は気付いたみたいで、訝しげな目でやぶ睨みに、ぼそっと呟いた。
『あの……なんか、さっきからガン飛ばしてくれてるみたいだけどさ……俺、何の覚えもないんだけど』

 な!?
 ガン飛ばす? このあたしが?
 っ……ちょっと、表情険しくなっちゃってたかな。
 それはいろいろ、よろしくないな。
 つづりの手前、事は荒立てないようにしなくちゃ。

『あ、いや、その……睨んでるつもりはないんだけどね。つづりのお友達みたいだから、ちょっと興味があっただけ。気分を害したら、ごめんなさいね』

『って、ああ、あんた羽雨直か。つづりから話聞いてるわ。なるほどね……睨んでるんじゃなくて、そんな顔つきなんだよな。これは失礼』

 な、な、な……。
 なんなのよ、この男!!
 初対面のくせに、いきなり呼び捨て?
 しかも、睨んでるんじゃなくて、そんな顔だなんて……。
 なかなか言ってくれるじゃないの。
 デリカシーの欠片もなさそうな男だね……。

 なんだか、頭に血が昇りそうになるのをなんとか抑え込んでいると、教室の扉が開いて――。
 あたしたちの新しい先生がやってきた。


『はーい、みなさん、おはよーございまーす♪』

 へぇ……この人が、あたしたちの担任――。
 日枝法子先生……あたしたちが入学してすぐ、お亡くなりになった日枝院長の娘さん……。
 今年から赴任してきたってことは、すっごく若いんだよね。それに、なんだか優しそうな人……。

 日枝先生はニコニコ笑ったまま、教壇のところに立って、あたしたちの方を見てる。

 あたしたちも、先生が来たことで、これまでの気分をリセットして、背筋を正して先生の顔を見つめる。

 ………………。
 ん? なんなんだろ。
 日枝先生もあたしたちも……何ひとつ喋る事もないまま、じっとお互いの顔を見詰め合って……。
 すっごく微妙な空気が、教室中に広がっていく。

 ………………。
 どれくらいの時間が経っただろうか。
 不意に、今まであたしたちを見つめていた先生の瞳にじわっと涙が浮かんだかと思うと、俯いてしまった。

『うっ……どうしてみんな……先生に挨拶してくれないの?』

 ???
 な、なんなのかしら……。
 急に涙声になっちゃったけど……。

『初日なのに、もう学級崩壊しちゃってるのかな……それとも、先生が新米だから、とても挨拶なんか出来ないとか……』

 日枝先生は、やってきた時の顔が嘘みたいに、悲しそうな表情でボツボツと呟いて、ガックリと項垂れてしまった。
 あたしは、そんな日枝先生の姿を見るに見かねて、思わず挙手してしまっていた。

『あ、あのっ……先生!』

『っ……な、なに?』

『今日は始業式なんで、学級委員も日直も、まだ決まってないわけですから……号令かける人がいなくて、あたしらも困ってるんですけど』

 クラス中の人間の心を代弁するように言うと、日枝先生は驚いたように大きく口を開けた。

『あっ!? そ、そうか……それはそうだよね。じゃ、じゃあ、あなた……号令お願い、出来るかな?』

 なんだか、変わった人だなぁ……。
 でも、お願いされたものは仕方ないね。

『それじゃ、きりーつ』

 ――ガラガラガラ

『礼』

『おはよーございます』

『着席』

 ――ガラガラガラ

『み、みなさんおはよーございます。ごめんなさいね。先生も今日が初日なものだから、緊張しちゃってて……』

 先生が、まるでつづりみたいにペロッと舌を出して頭を下げる。
 なんだろう……こういう人って、魔法使いによくいるパターンのひとつなのかな。
 そんなことを思ってると、横の席の白川がボソリと呟いた。

『すげーな、俺、なんで固まっちゃってるのか、意味わかんなかったよ』

『ふふ、別に褒められるほどのこと、ないわよ』

『しかし、とんでもないクラスに入っちゃったな』

『そんなこと言うものじゃないわよ。先生言ってたじゃない、緊張してるって』

『なんか、先生はドジっ娘だし、隣の席のやつは暑苦しい熱血漢だし……めんどくさそうだなぁ、いろいろ』

 っ……なんて、後ろ向きなヤツなのよ、こいつ。
 なんで、こんなヤツとつづりが、仲良しだったりするのかなぁ……。
 ま、それもその内、それとなく聞いてみよっかな。

 ――こうして、あたしの2年生の初日は幕を開けたんだけど、ご覧のように、白川の印象は最悪。
 ったく、これからどんな毎日が待ってるのかしらね。
 激しく、不安だわ……。



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